副業は地方の救世主となるか?副業と地方活性化の未来に迫る

地域活性化
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物流や交通の速度が上がり、地方都市と東京都支部との格差は小幅ながら改善されつつある昨今。

それでも地方の小都市や過疎の山間部などの疲弊ぶりは顕著で、まさに地方という物そのものが今や存続の危機に瀕しているといっても過言ではありません。

そんな中、地方都市の企業や自治体の中には積極的に副業を認める動きが増え始めています。そしてその目的は地方の活性化にあるというのですが、いったい副業の認知と地方創生の間にどういう関係があるのでしょうか。今回は、そこに迫ってみます。

地方復活のカギは、都会にない独自性

まず副業と地方創生について迫る前に、地方創生における条件を考えてみましょう。

かつて、日本が地方と都市部の差をなくすために様々な取り組みをやってきましたが、そのたびに失敗してきたことは周知の事実。その失敗を踏まえて、新しい地方創生のカギについて考えてみます。

都市の真似をしてはいけない

まず地方創生や地方活性化、地方復活を目指すうえで一番の間違いは地方の都市化です。

もちろん公的施設が増え交通インフラが整い、商業施設などができる都市化は、悪いことではないのですが、それは最初に「人口」あってのこと。都市とは人口をもとに発展するものであって、都市を整備してから人口を増やすというのは土台無理な話。

というのも、交通インフラも公的施設も商業施設も、すべては多くの人口をまかなうための需要の下に発展していくからなのです。

つまり、田舎に公的施設を乱立させたり大きな道路を作ってみたり、商業施設を誘致するのは因果が逆なのです。この当たり前のロジックに気づくことなく、人が集まるから都市ができるのではなく都市が先にあってそこに人が集まるのだという珍妙な考え方が、地方振興を失敗に導いてきました。

人口が1000に満たない山間の村に、オペラハウスも片側二車線の道路も必要ないのです。人口が少ないにもかかわらず行われる都市化は、ただの都会の真似に過ぎません。

持続可能性の薄い独自性に未来はない

それでは地方は、都市にはない独自性を出していけばいいのか?

もちろんそれはきっと正解に限りなく近いものでしょう、しかしここで絶対に忘れてはいけないのは、 それが持続可能な独自性でなければいけないということです。

これも地方都市に行くとよく見かけるのですが、○○資料館や○○博物館といった、地域の特産をPRする施設。もはやその発想に独自性がないといわれればそれまでですが、当然中で展示されているものは独自性の高い地方の名産や独自の文化だったりします。

しかし、それは一度見ればもう十分なものです。

コンニャクイモ博物館に毎年足しげく通う人間はきっといません、いたとしてもごくごく少数の変わり者であることは間違いのないことです。もしくは業者です。

もちろんこれがすべてではありませんが、このように全く持続可能性のない、その場限りの独自性は、ただお金をどぶに捨てているだけのことであると、そろそろ気づかなくてはいけないのです。

無理な産業を推進しようとする

これも持続可能性のない独自性と似ていますが、無理な産業の推進や新興というのもよく見かけます。それこそ、よくよく探せば日本中に存在するような大きな樹の一本だけをその目玉に据えた観光事業ですとか、交通の便の悪い山間部にF1サーキットを作るなどというのがそうです。

他にも、駅もないのに格安のベットタウンを建築してみたりと、その場しのぎの安易な発想がたくさんあります。

業の分野でも、マーケットリサーチも何もなく、ただただ新しい品種を作っては農家に依頼して大量に作ってみたりといった無理難題を押し付けるものが少なくはないのです。これでは地域振興や地域復活といったものがうまくいかないのも当たり前ですね。

副業が切り開く地方の復活

そんな中、地方復活にかける地方の企業や自治体が副業を積極的に背景しているのはなぜなのでしょうか。その実態を踏まえてみていきましょう。

労働者の多様なニーズにこたえる

まずはフジサンケイビジネスアイのこのニュースを見てください。

副業認めて地方移住を促進 企業や自治体、地域活性化狙う」

この記事の中で、地方の企業や自治体が労働者に提供しているのは、何なのか。広島の件については映画製作という夢を追い続けることの承認、島根や堺市の件に関しては農業への挑戦です。一見ばらばらの様に見えるこの複数の件ですが、そこには一貫したテーマが存在します。

それが、労働者のニーズにこたえるということ。

広島に来れば、島根に来れば、堺に来れば、そして東京に居ながらにして地方に向けて、あなたは自分の願いをかなえることができます。
そんな、ニーズに対する柔軟な姿勢がそこにはあるように感じます。

労働に人間らしさを加味する

そしてそれは、ある意味労働という物に人間らしさを加味しているようにも思えます。

ある時から、それはきっと高度経済成長を境に、労働という物は人間性を無視していることが美徳であるような、過酷な修行のような側面が生まれてきました。家庭を顧みず、夢をあきらめ、理不尽に耐え忍ぶ。

そんな、人間としてその人生を謳歌することを妨げるような状況になってこそ、労働の対価は得られるという、滅私奉公の精神がそこには損じしているのでしょう。

しかし、この地方企業や自治体が進める副業容認の姿勢の中に、そんな臭いは一切感じません。そこにあるのは、労働を人生の彩と定義づけた、非常に人間らしい幸せの追求につながっていく労働の形。その対価ではなく労働そのものが幸せの原動力となりうる姿。
そんなものを感じませんか?

地方企業や自治体の副業への取り組みは地方復活のカギとなるか

では、そんな地方企業や自治体の取り組みは地域振興隣地方の復活へときちんと結びついていけるのか。そこについて考えてみましょう。

都会の真似になってはいないか?

これに関しては、まったくもってNOといえますよね。なぜなら、こういった形の副業推進の地方企業に就職し地方自治体の活性化策に乗る人たちは、それが大都市圏に存在しないからこそ、こういった地方企業に勤め地方自治体に移住するのです。

まさに、都会の真似ではない独自性を持った地方振興策といえます。

しかも、重要な点は、そのメインテーマとして人間を地方に呼び込むということがまず話のスタートとなっている点が挙げられます。
そう、つまり都市化ありきではなく人口ありきの取り組みだということです。

そこにもともと企業があり田畑があり、さらにそこに従業員が増えることでまず人口を増やす。そしてそういった取り組みが増えてくればそこに町が発展していく。

そんな当たり前の都市の発展の経路に沿っているといえるでしょう。

持続可能な独自性なのか?

これも、間違いなくそうであるといえますね。

一般に、政策なりチャレンジなりが持続可能であるかどうかの判断基準は、その内容が無理をして作られていないかどうかによると考えられます。そして、この地方企業や自治体の取り組みには、無理がないように感じるのです。

地方企業や自治体の副業への取り組みは、そこに働き手を確保できる企業や自治体と自分の生き方を全うできる従業員との間にウインウインの関係性が成り立っています。

決してどちらかが無理難題を押し付けられているのではなく、また我慢をしているわけでもない。どちらもニーズを追求した結果、その落としどころとして、副業を受け入れることで地方に住み生活してもらうという関係性が成り立っているわけです。

つまりそこに無理はありません、そして、地方だからこそできる独自性もあります。まさにそれは持続性のある独自性といってよいのではないでしょうか。

無理な産業を推進してはいないか?

ある意味、いまはまだどこかに無理があるかもしれませんが、すぐにそれは解消されるでしょう。

というのも、おりしも政府によって副業解禁が迫られ、ネットの発展によって、パラレルワークやフリーランスがリモートワークで活躍し始めている時代です。そこに大都市にはない地方ならではのフットワークの軽い独自性と無理をしない自足性があれば、あとはそれほど難しいことはないように思えます。

繰り返しになりますが、もちろん今の段階では社会的認知として難しい点もあるでしょう。

しかし、あと数年後にはむしろそうあることが普通の時代がやってくるかもしれません、そうなればこれまで先進性は都会から訪れたものが地方から訪れるという逆転現象すら起きるでしょう。

都会を凌駕する先進性を持った地方の動き。

まさに地方復活の狼煙のようではないですか?

個人が価値となる社会の中で

ここまで見てきて、つまりこれも、他の記事で何度か申し上げてきた「個人が価値になる時代」の象徴でしょう。

もう、これからの社会においては、企業名が価値にはならないというのと同じで、どこに住んで働いているかというラベリングもまた大きな意味をなさなくなってくるのです。

ネット社会の進歩で、日本は驚くほど狭い国になっています。九州の山間部に住みながらオンタイムで東京のクライアントと仕事ができる時代に、地方の復活というのはむしろ都市の平均化といえるのかもしれません。

そう、もはや日本中が東京と変わらない仕事ができる時代に入ろうとしているのです。そうなったとき、人間として魅力的な働き方が広島にあろうと島根にあろうと、他のどんな場所、それこそ沖縄の離島にあろうと関係ない。

そこにはただ、働く個人の価値に準じた仕事が存在するというだけなのです。言い方を変えれば、副業による地方の復活とは、地方が地方でなくなる瞬間を迎えた。といっても過言ではないのです。そこにあるのは、個人の価値で切り開いていく、平均化された大都市に内包されたフロンティアなのです。

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海外でのリモートワークを夢見るアラサー男子です。今は本業やりつつ、リモートワークで本業を活かした副業をしながら経験を積んでいます!

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